フランス語教員の15年
安永 愛(初修外国語科目部会、人文社会科学部

静岡大学でフランス語を教え始めて、15年が経った。赴任したばかりの頃、学生に「先生何歳?」と聞かれ「ぞろ目だよ」と答えたら「え、22歳?」と真顔で返してきた童顔の一年生のことを苦笑と共に思い出す。その間、実に多くの学生たちが卒業していったが、私は永遠に卒業できない学生のように、教室に留まっている。毎年4月になると繰り返される「アー、ベー、セー」。うがい音のようなフランス語のRの発音練習で笑いが漏れるのも、歳時記の一齣のよう。
「必修科目だから」黙々とフランス語の勉強をこなす、大多数の学生たちに交じって、毎年何人かはフランス語に強い意欲を示し、フランス言語文化コースへの進学やフランス留学にまで至る学生が出てくるのは、本当に嬉しいことだ。フランスに派遣された学生たちからは、報告書を二週間ごとに受け取るが、彼らの積極性、貪欲さには驚かされる。義務でもないのに学生が添付してくれた彼の地の写真は、どれも宝物になるだろうと思われるシーンばかりだ。こちらのパソコンにあまりにも鮮明に映し出された画像に、思わず感嘆の声を上げそうになる。フランスの留学協定校との交流も深まっている。静大で学んだフランス人学生が、夏休み間近かの初修フランス語のクラスにふらりと現れて、発音のお手本を見せて(聴かせて)くれたこともある。フランス言語文化コースの学生とのコンパでは、ジェロ並みの演歌を披露してくれた。
数少ないけれど、市民開放講座の受講生の存在は、実に励みになる。ある受講生から「昔、朝吹登水子さんに習いました」とお伺いした際には、襟を正したくなるような思いがしたものだ。舞台でシャンソンを歌われるという八十代の受講生のおばさまは、フランス語の発音のブラッシュアップに余念がない。装いも粋で、楽しい老後のお手本のようでもある。早速授業の成果を生かし、ニューカレドニアのカジノでフランス語で数字を叫んできた、と報告して下さった悠々自適の受講生もいらっしゃった。その方が自ら描かれたパリのカフェの瀟洒な水彩画は、研究室に飾らせていただいている。
私自身は相も変わらず、さほどの進化もなくフランス語を教えてきたが、幸せな15年であった。「おフランス」と揶揄されるのを覚悟の上だが、幸せな15年を過ごさせていただけたのは、フランス語やフランス語圏に目を輝かせ、懸命に学ぶ学生や受講生たちに常に接してこられたからだと思っている。

ここで、唐突なようだが、一つ話を付け加えさせていただく。
ご近所に、こちらが申し訳なくなるほど、上品な白髪の御婦人がいらっしゃって、いつも骨格のしっかりしたダンディな旦那様と連れ立って散歩されていた。小学二年生だった長男が交通事故で骨折して運び込まれた総合病院の外科で、たまたまご夫妻とご一緒した。「私ね、パーキンソンなんですよ。」
「大物がかかることの多い病気なのだそうですね。」
「そうね、同病で気に入っているのがね、デボラ・カー。」
歩行が困難になり、転倒してたびたび骨折するようになっても、奥様は常に優しい笑みを絶やさず、旦那様は寡黙に付き添われていた。
仲睦まじいご夫妻の散歩姿を見かけなくなくなり、そのうち、ご主人が一人歩かれているのをよく目にするようになった。その姿もあまり見られなくなったと思ったこの秋口に、毎夏帰国されるアメリカのご長女一家がそう時を空けず戻ってこられたので、胸騒ぎがした。ご夫婦に何かあったのでは、と気になったが、訊ねるのは憚られた。そうこうするうち、ある週末にご夫妻のお宅の前に大きなトラックがやってきて、あっという間に荷物が運び出されてしまった。
近所の方に、立ち話で伺ったところによると、秋口に奥様が亡くなられ、相次いで旦那様にもガンが見つかったが、最新の治療の後、小康を得て、旦那様はパリに向かわれたという。「奥様と一緒に訪れた街をもう一度見たかったのでしょうね。ルーヴルをご覧になったそうですよ・・・」間もなく、旦那様はご長女に看取られて亡くなられた。「病床の父に笑顔が浮かんでいて、ああ、お母さんに会えたんだな、と思ったって、娘さんおっしゃっていたわ。」
子供たちにも声をかけて下さっていたご夫婦の死を、数十メートルの距離にいながら、知らずに何日も過ごしていたことに、暗然とした。しかし、旦那様が人生の最後に、奥様の思い出と共にパリの街で数日を過ごされたことに、私は深々と心慰められる思いがした。

「ふらんすに行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」と謳った萩原朔太郎の時代は確かに遠ざかった。1950年に渡仏し、76年にパリで客死した森有正の描くフランスでさえ、顧みるに値しない過去の遺物であると言い放つ人もいる。曰く、フランス文化は、もはや仰ぎ見る文化などではない、と。しかし、と私は思う。失望を禁じ得ない政治・文化的な変化も昨今のフランスにはあるけれど、人類の究極の理想の実現を夢見てきた、その歴史ははっきりと刻み込まれている国なのではないか、そこから学ぶことは多い、と。
初修フランス語の授業の中で、どれほどのものを学生たちに伝え得ているか、心許ないが、亡くなられたご夫妻のことを偲びつつ、心を新たに教室に向かっていこう。

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