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近年のグローバル化を背景に,日本の大学でも,英語「を」習得する授業のみならず,英語「で」行われる授業のニーズが高まってきています。そこで本ニュースレターでは,6人の教員から寄せられた「英語での授業」についての実践例や考え,問題提起などを順次紹介していきます。
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英語での授業

(人文社会科学部 鈴木実佳)

 何年か前の英文学会でのシンポジウムでのこと、「英語が使える日本人」という言い方は「道具が使える猿」的な響きがあると言って笑いを誘った後に、それを目指すことは本当に価値のあることだろうかという疑問があがっていた。「英語が使える日本人」育成というのは、十数年前に文科省が打ち出した方策らしいが、それが大いに話題になっていたころは、育成されるべき日本人は若者たちであり、どうやって学生たちに力をつけさせるか、どうやって一般に通用する尺度で学生の能力をはかるか、というのが検討事項の主な部分をなしていた。まだまだ学生気分が抜けなかったのか、あるいは習うことはいつまでたっても好きなので、学生の立場に立つかのように、なんとなく、自分の能力の数字的裏付けがほしくて、英検、TOEIC, 通訳案内業の資格などの試験を受けまくったのは、その頃だった。受けていたときにはおそらく意識していなかったが、学生に変化をもたらすことへの注目は、教える側がまず変わってみよ、という方に当然移ってくるだろうと予測できても良かったのかもしれない。

 英語で授業を行うことを始めてふたつの学期が終わった時点でこうして書いておくことができるのは幸運なことである。授業を英語で受けるということは、学生たちにとってまだこの時点では挑戦であると思われるが、私自身にとって、「挑戦」というより、`challenge’である。そう、`challenge’であって、そこにいるだれか、何かに挑みかかる「挑戦」というよりも、`a new or difficult task that tests somebody’s ability and skill’という、まさに自分の能力を検証し、それに試練を与えているところである。

 2014年度後期は、専門選択の「各論」と称する3,4年生向けの講義科目で初めて試み、2015年前期は、専門選択の講義科目である点では同じであるが、コースの2年生がほぼ全員履修する導入科目でやってみた。前者と違って後者は自ら進んでこの英語での科目を履修していたわけではないので、助けになるように、読んで面白い本を教科書として選んだ。うまく回れば、授業で聞き逃すことがあったとしても、教科書が助けてくれる一方、本を読むための知識がまだ備わっていないので難しかったかもしれない点について、授業で解説をきくことができるという相互補完的なことになるのであるが、授業が英語である上、教科書が英語の本であるという二重の苦しみを被ったと思っている学生もいたのではないかと思われる。質問は、前もって教科書を読んでくる市民開放授業としての受講者から出されていた。昼休みに希望者の読書会のようなもので補うことも考えたが、実現しなかった。大いに反省しつつ、次は「読解」の授業で試みることを目論んでいる。授業中の時間の使い方、運営を考えるのも勿論であるが、予習してくると話がわかって楽しいという仕掛けをどうやってつくろうか、思案中である。

 英語での授業を行うことは、自分への試練である一方で、楽しくもあり、いずれにしろ、自己中心的になる危険に満ちている。その危険回避のための教えは、2015年1月から2月にかけてスカイプで受けた英語で授業を行うためのレッスン(*)で与えてもらった。授業用の資料の書き方などの具体的な指導も勿論あったが、レッスン中に最も感じたことは、その時間には思考が促され、あるいは得意な話題に水を向けられ、気持ちよく話せるということだった。一対一のレッスンであり、受講者に話しをさせることがまずは目的なのだよと、種明かしのようなことも教えてもらったが、発言を引き出すためのコツを彼は心得ていて、そういうレールにいつものせてもらってしゃべっていた。良い先生は、良い質問をすることができるのだ。

[ニュースレター編集委員 注]  (*) この時期,全学FD研修の一環として,3学部1センターから6名の教員が,英語での授業を行うためのスカイプレッスンを受講しました。レッスンは1名につき80分×3回。

※第2回の掲載は9月下旬頃を予定しています。

 

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