教職の授業で学生にのぞむこと

松沼光泰(教職センター/大学教育センター)

_僕は,本学において,2年生で「発達と学習」,3年生で「生徒指導」「教育の方法及び技術」,4年生で「教職実践演習」という以上4つの教職に関する科目を担当している。ここでは,僕が,授業中に教職を志す学生に求めること(授業中に学生に行ってほしいこと)について述べたいと思う。僕は,学年に応じて,徐々に授業中に学生に求めることを変えている。そこで,以下では,各学年を担当して感じることについて言及しながら,各学年で学生にどのようなことを求めているか記したいと思う。

_2年生の授業「発達と学習」で,僕は本学に入学して教職を志そうと考えている学生と初めて会う。まだ2年生の段階では,教員免許を取得するかどうか迷っている学生も授業を履修するので,履修者は約100名となる。100名近い履修者がいる場合でも,授業中,学生に発言を求めるし,隣の人と意見を交換することなどを求める。そこで感じること。100名という大人数の授業であるのも関係していると思うのだが,どこかで感じたことがあるようななんとなく居心地の悪さを感じる。そう。満員電車の中にいるような感じ…満員電車では,人がすぐ隣にいるのに,人は隣の人には無関心でいる。そんな雰囲気を「発達と学習」の授業では感じている。周りに無関心な人たちの集団。居心地がいいわけがないなと思う。そのような中で,2年生の段階では,20分以上授業に遅れて来ないこと,授業中,スマホをいじらないこと,無駄なおしゃべりをしないことなどという教員を志す者にとっては基本的であると思われることを学生に求めている。

_3年生になると,2年生で学生に求めたこと「授業中,スマホをいじらないこと,無駄なおしゃべりをしないこと」などという基本的なことができない者はほとんどいなくなる。さすがだなと思う。一部の例外はあるが…3年生の授業「教育の方法及び技術」や「生徒指導」の授業では,班を作って,グループでの活動を取り入れている。前者の授業(「教育の方法及び技術」)では,よい授業を創造するためには何が大切であるかを踏まえた上で,どんな教え方が有効かをグループで考え,考案した授業プランを発表してもらっている。また,後者の授業(「生徒指導」)では,いじめ,不登校などさまざまな問題行動についてグループで討議してもらっている。3年生の段階では,グループでの活動に積極的に参加できるか,分かりやすく発表できるかといった点を学生に求めている。特に,自分の考えたことをみんなに聞こえる大きな声で,発表できるかといった点には,留意してもらっている。自分の考えたことを発信できることは,学生のみんなが社会人になってから,とても大切な能力になると思うからだ。「周りのみんなが自分を理解してくれない」というようなことを聞くことがある。しかしながら,そもそも人は,自分を他人に理解してもらえる権利など持っていないだろう。もしかしたら,他人に向けて,自分の考えていることを発信する権利くらいはあるのかもしれないと思う。一生懸命自分の考えを発信した上で,それを受け入れてくれるかどうかは他者に委ねられることになるはずだ。

_最終学年である4年生。4年の授業は「教職実践演習」。この授業は,教職課程の他の授業科目の履修や教職課程外での様々な活動を通じて,学生が身に付けた資質能力が,教員として最小限必要な資質能力として有機的に統合され,形成されたかについて,最終的に確認するものであり,いわば全学年を通じた「学びの軌跡の集大成」として位置づけられるものだ。この授業で,学生に求めることは,3年生までの授業とは少し異なる。3年生までの授業では,こちらがのぞんでいることを学生に細かく伝えている。4年生の授業(「教職実践演習」)では,自分で考えて,行動するようになってもらいたいと考えている。社会人になると,他人は注意をしてくれなくなる。教員ともなればなおさら。どうすることが自分にとって良いのか,あるいは,どうすることが自分に求められているのか考えて行動する。そんな社会人(先生)になって欲しいなと思っている。ほんのちょっとしたことで,人の評価は変わってしまうものだ。例えば,お父さんが灰皿を前に「タバコをとって」と言ったとする。「どうぞ」ってタバコを渡す子。「どうぞ」ってタバコにライターを添えて渡す子。ほんの少しのことだけど,渡された側の気持ちは違うだろうし,その子に対する印象も変わるだろう。

_先日,教職実践演習の一環として,高等学校に,70名を実地研修に連れて行った。研修の最中に,高校の食堂や廊下などで研修先の先生方とお会いする。挨拶をする学生そうではない学生いろいろだ。あえて,「食堂や廊下で先生や生徒に会ったら,挨拶をして下さい」とは言わなかった。さすがに,「研修会場で講演をして下さった先生に対しては,挨拶,お礼を忘れずに」と言ってあったが…どうすることが良いのか自分で考えて行動して欲しいと思う。もちろん考えた末の判断(行動)は,人によっていろいろ異なるであろう。すべての人が考えた末に同じ判断をして,同じ行動をとるとは限らない。大人(社会人)になれば,ある程度,それでいいと思う。とった行動の責任は,他ならぬ自分に返ってくるのだから。僕もそう思って,毎日生きている。

 

Share