【参加報告】 シンポジウム「モンロー・ドクトリンの行為遂行的効果と21世紀グローバルコミュニティの未来」に参加して ―大谷にて「グローバル教育」を考える―

高瀬 祐子(大学教育センター)

 3月29日、吉祥寺は井の頭公園でお花見を楽しもうと集まった人々で大賑わいであったが、私は井の頭公園とは反対側にある成蹊大学で開催されたシンポジウム「モンロー・ドクトリンの行為遂行的効果と21世紀グローバルコミュニティの未来」に参加した。春休みに「グローバル」を謳ったセミナーやシンポジウムにいくつか参加したが、それらの多くは念頭に「英語」や「英語教育」というサブテーマを置いたものだった。しかし今回のシンポジウムはグローバリゼーションやグローバリズムなど「グローバル」ということばそのものを問い直す内容であった。
 まず、4人の発表者によるバラエティーに富んだ発表が行われたあと、フロアとディスカッションを行った。発表のテーマは南アフリカを舞台にした映画『第9地区』から、「長崎の鐘」などの戦後歌謡、文芸批評家のスピヴァク、福島の原発まで及び、文字通りグローバルな内容となった。これらの発表を聞いて、「グローバル」に対する私の個人的な意見を少し述べたいと思う。
 シンポジウムのテーマの1つとなっているモンロー・ドクトリンは1823年に当時の大統領ジェームズ・モンローによって発表された教書である。日本では「モンロー宣言」「モンロー主義」として知られている。モンロー・ドクトリンとは、簡単に言ってしまえば、ヨーロッパ諸国に対し、アメリカ合衆国だけでなく南アメリカに対してもこれ以上植民地化したり、攻撃したり、干渉するなよ。と宣言したものであり、その後のアメリカ外交の基本方針となったとも言われている。モンロー・ドクトリンによって、アメリカはヨーロッパ諸国と南北アメリカ大陸の間に線を引いて、こっちに来るなとけん制したのだ。つまり、地球(globe)を縦に区切りたかったのである。それから200年弱(正確には191年)、「アメリカの世紀」とも呼ばれる20世紀を経て、アメリカは地球 (globe) のどこかに線引きすることはせず、今では地球全体に目を光らせている。
 20世紀が「アメリカの世紀」であるならば、21世紀はどうだろうか? 21世紀を生きる力を備えた人材を育むべく文科省が掲げているテーマの1つが「グローバル」である。「グローバル化に対応した英語教育」や「スーパーグローバルハイスクール」等文科省のサイト内で「グローバル」を検索したところ、約19.800件(2014年3月31日)ヒットした。
 おそらく多くの人が「グローバル教育」と聞くと真っ先に「英語教育」を思い浮かべるのではないだろうか。「グローバル人材育成」は「英語を話せる人材の育成」だとどこかですり替えられてしまっている。しかし、globe がもともとは球体を意味することばであり、地球が平面ではなく、球体だと判明したことから「地球」を意味するようになった経緯を考えても、必ずしも global = 英語 ではないはずである。global を文字通り「地球全体の」と取るのであれば、「グローバル教育」や「グローバル人材」として示されるものはあまりに膨大であり、日本も global の一部であることに変わりはない。
 文科省も「グローバル化」に対応するために、英語だけではなく日本の歴史や伝統文化についての教育を充実させることを目指しているし、「スーパーグローバルハイスクール」では「単に英語教育を充実させるだけでなく、世界の貧困問題について学んだり、海外展開に力を入れる地元企業と協力して国際的なビジネスについて考えたりするなど、生徒に世界的な視野で物事を考えさせるプログラムを導入する」としている。「グローバル教育」が「英語の話せる人材を育てる教育」であるという認識は、いつの間にか植えつけられてしまった誤解である。
 では、「グローバル教育」とは何か? シンポジウムの4人の発表者の話を聞きながら、私の頭の中では地球儀がぐるぐると回っていた。なぜなら話の内容が世界中、はたまた太陽系にまで及ぶからである。私は頭の中で地球儀を回しながら、今どこからどこに移動したのか考えながら話を聞かなければならなかった。さながら世界旅行をしている気分である。ある時は南北アメリカ大陸を往復し、またある時は長崎からラテンアメリカに飛んだかと思うと福島に着陸し、今度は南アフリカからキューバへ渡る、といった具合である。「グローバル」という言葉の示すシニフィエは地球という球体すべてを包み込むほどに広大である。しかしまた、今自分が立っている半径15センチ程度の丸の上もやはり地球である。地球全体を眺める大きな視点と、視界に入るごくわずかなものを見つめる小さな視点の両方を持つことこそ、21世紀を生きる私たちに求められている資質ではないだろうか。そしてその両方が相互に作用することを学ぶことこそ学問の本質であるように思う。
 globe には「地球儀」という意味もある。机の上の小さな地球儀を眺めながら、発表者の言葉を借りれば「今自分が地球のどこに立っているのか?」について常に学生に意識させることが「グローバル教育」の第一歩なのかもしれない。