新任教員ご挨拶

金子泰之(教職センター)

 教職センターに着任して初めての授業(発達と学習)で,教職課程を履修する意気込みを学生に記入してもらった。その中に「義務教育程度の学習内容は,誰が教えても習熟度は大差ないと思う。」という意見があった。それを読んだときに,私自身が今まで受けてきた教育や恩師のことが頭に浮かんだ。その頭に浮かんだエピソードを2つ紹介しようと思う。

_私は中学1年生から中学2年生に進級するときに,親の仕事の転勤により転校した。1学年250名近くの規模のA中学校から,1学年150名近くの規模のB中学校への転校であった。私の出身は山形県で,同じ山形県内の転校ではあるものの,方言や食文化などが違っており,慣れるまで戸惑いが多かった。

_転校前,私が学校の勉強に取り組む動機は,“高校受験が近いから”というものが大半を占めていた。“勉強しないと高校に入学できないぞ”という親からの脅しのような一言に震え上がり,それで勉強していた。A中学の先生は,良い先生が多かったとは思うが,授業のことで強く記憶に残っていることはない。

_それに対し,転校後のB中学校では強烈に記憶に残っている授業がある。理科の授業だ。身長が190センチ近くある理科の先生で,それだけで威圧感と風格があった。他の先生には反抗的な態度の同級生も,この理科の先生の前ではおとなしかった。私達にとって,この先生から漂う威圧感と風格は確かに近寄りがたいものでもあったが,一番圧倒されたのは授業の面白さであった。数多くの実験をやった。「みんなで手を繋いで感電してみよう!」なんてことをやったり,カエルの解剖をやったりもした。授業は,事前説明があり,実験の目的,方法について説明を受け,実験後に結果と考察を記入するという流れであった。授業は楽しかったが妥協はなく,厳しさもあった。40歳近くなった今現在でも,この理科の授業中に感じた知的興奮は忘れられない。不思議なもので,理科が楽しくなり成績が伸びてくると,今まであまり好きではなかった他の科目も頑張ろうと思い,勉強に取り組む姿勢が変わったのが中学2年以降である。

_もう1つは,大学院生の頃に出入りしていた小学校のエピソードである。私が小学生の頃に通っていた小学校では,担任がすべての科目を教えていた。それに対し,院生の頃に出入りした東京都内の小学校は,図工と音楽に専科の先生がおり,担任は図工と音楽以外の科目を担当していた。この小学校の図工の時間を見学したとき,衝撃を受けた。専科の先生が教える図工は,大人もやってみたくなるような刺激があり,またよく練られていた。毎時間,課題が決まっていて,子ども達がそれを1つ1つこなしていくと,今まで作成したものが組み合わされて超大作が完成しているという授業だった。その先生と雑談していて忘れられない言葉がある。それは「国語や算数などの教科とは違う子どもの姿が見られるのが,この仕事をやっていて感じるやりがいです。」という言葉である。不注意,多動性,社会生活の苦手さを示す子どもがクラスに数名いた。国語,算数などの授業では担任に注意されることが多い子どもたちが,図工の時間には45分間,集中して黙々と取り組んでいる。完成した作品も見事で,同じクラスの友達が「すげー!」と褒めてくれるのである。

_様々な実験を通して五感を使って学ぶことの楽しさと知的興奮を掻き立ててくれた理科の先生。不器用すぎて自分は図工が苦手と思い込み,図工や美術に抱いていた嫌悪感と偏見を払拭してくれた都内の小学校の図工の先生。共通するのは,とにかく授業が面白く,子ども達を授業で魅了しているということである。お二人とも専門性を最大限活かした授業をされていたと思う。

_冒頭の第1回目の授業時に話を戻すと,学生が書いてくれた教職課程を履修する意気込みの中に,「中高生とどう関係を作ったらいいのか?いじめ,不登校,発達障害など教育現場には様々な問題が満載だと聞くが教員としてどうしたらいいのか,実践的な対応方法を知りたい。」という意見も多かった。もちろん今の教育現場では,子どもの問題への対応と知識,保護者対応など様々なことが求められているだろう。しかし,まず大事なのは授業を通して子ども達を魅了することだと,今までの自分の記憶を思い出しながら感じた。まずは,学生一人一人が自分の専門分野をきちんと勉強し,その楽しさを中高生に伝えられることが大事なのではないだろうか。

_私はこれまで,学校内問題行動と生徒指導の関係や,学校統廃合を通して子ども達の環境移行について調査を行ってきた。自分自身の研究を継続しながら,発達心理学や教育心理学に関する授業を通して,子ども達を魅了する教員とはどんな教員なのかを学生と一緒に考えていきたいと思っている。

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