GPシンポジウム「アカデミックスキルとしての英語教育」参加報告
(大学教育センター講師 松野 和子)
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数年来、各大学は全学英語教育の位置づけやその仕組みの運用に知恵をしぼり、よりよい成果を挙げるべく努力している。本学も例外ではなく、平成25年度始動を目指した新たな教育プログラムを準備中である。このため、他大学での取り組みからも学ぶ必要性を感じ、標題のシンポジウムに参加した。
シンポジウム前半は、主催校の獨協大学による基調報告(発表者:岡田圭子先生、飯島優雅先生)ではじまり、続いて、筑波大学(発表者:島田雅晴先生)、国際基督教大学(発表者:深尾暁子先生)、茨城大学(発表者:永井典子先生)からの取り組みが紹介された。少し長めの休憩をはさんだ後半では、質問紙による質疑応答と全体議論が展開された。3時間という短い時間ではあったが、大学における全学英語教育の論点が凝縮された密度の非常に濃いシンポジウムであった。以下、いくつかの論点から簡潔に報告する。
教育プログラムの目的・目標
まずは「共通英語を何のためにやるか」ということであるが、外国語を習得するときに、特定の目的に絞って習熟を目指す、いわゆるESP (English for Specific Purposes:特定目的の英語)の概念を学術目的に特化したEAP (English for Academic Purposes:学術目的の英語)を、(会の趣旨からは当然とも言えるが)いずれの報告校でも目指すものとしていた。報告校のいくつかでは、EAPをさらに細分化させたEGAP (English for General Academic Purposes:一般学術目的の英語)という概念を援用して、これを目的とすることで、「どのような分野の研究を専攻するとしても、最低限押さえておくべき英語」として学部間に共通のプログラムであることを担保しているようにも理解できた。これらの概念の整理について詳しくは田地野 (2004) 「日本における大学英語教育の目的と目標について―ESP研究からの示唆―」(MM NEWS No.7, pp.11-21)を参照されたい。
教育プログラムの目的に関する議論は、システムの実質的な内容を組む上で重要な土台であることに違いはないのだが、時に、目的も定まらないのに仕組み作りには着手できない、という前提のもとで、このような議論に終始してしまう危険もある。しかし、実際に動いている教育システムを改善するには、すでにあるものを引き継ぎながら様々なレベルでの取組みを行うほかない。短期的な課題から長期的な課題まで視点を移動することによって、個々の改善策の成果がそれぞれの視点から全体にどのような影響を及ぼすかに注意を払いながら、個々の取組みの評価も見直され続けなくてはいけない。各大学の報告においても、目的は必ずしも長期に固定化されていたものではなく、これまでの意識的な取組みの中で見直しが重ねられてきたものであることが伺えた。このことからも、より洗練された仕組みを作り上げるには、プログラム全体を様々なレベルでの見直しのサイクルに置くことが重要であると感じた。
授業外の学生支援
どれほど素晴らしい仕組みができたところで、学びの主体である学生に理解されないのでは無用の長物である。その点、各大学からの配布資料にあった学生向け案内冊子(『学生ハンドブック』等の名称が付けられていた)が大変見やすかったことも印象的だった。プログラム全体の目標、仕組みの概略、各科目の概要、授業時間外の学習方法について等、様々な情報が文体的にも視覚的にも分かりやすく紹介されており、大変感銘を受けた。英語だけに限らないが、本学における学生向け冊子の改善は間違いなく重要な課題であることを痛感せざるを得なかった。
また、英語力が足りずについていけない学生が一定数いるのは、どの大学でも悩ましい問題であるようだ。このような学生たちの学びをどのように支援するかが、現実的な課題である。報告の中で特に印象的だった対策として、獨協大学における英語学習相談室の取組みが挙げられる。専属の特任教員2名と外部業者から派遣されるアドバイザー1名を配置し、学習相談から学びの自己評価の支援、昼休みの時間を利用したミニ講座などを実施しているようである。これらの取組みは、学習者の動機づけにも貢献をしているようで、本学でも学習支援体制を整備する観点からぜひ参考にしたい事例であった。
さらなる課題
上記いくつかの論点は、充実した議論のごく一部ではあるが、本学内での新カリキュラム準備の議論を含めて繰り返し同じように論じられる点も多く、本学においても共有し、参考にするべき点はたくさんあった。逆にいえば、どこの大学も課題として意識するポイントは非常に似ており、対策も同じ方向に収束すれば、結果として、各大学の教育プログラムや学生サービスは「どこも同じ」ようになってしまうと勘ぐる向きもあるだろう。
この時、個々の大学で差がつく要因は少なくとも二つある。一つは、そこに投じるエネルギー(人力や財力)の差である。各大学の財政的状況も楽観視できない中、限られたエネルギーを、重要な点にできるだけ効率的に注ぎ込むには、運営上の決断も必要となる。したがって、大学執行部をはじめとする決断に関与する構成員も全学英語教育において何が重要かについての見識が求められていると言ってよい。もう一つの要因は、個々の取組みが大学のシステムの中で無理のない自然な形で支えられているかどうかである。そのためには、大学の一般的な教育理念と、全学英語教育の目標やプログラム設計とを相互参照し、大学教育全体における位置づけも見直しながら、適正な運営体制が維持できるように大学全体が努めなくてはいけない。
語学教育を単なるスキルの集積と見なすと、これらの要因は軽視されがちだが、報告者の島田先生(筑波大学)も強調していたように、語学教育において「ことば」の視点をもつことはとりわけ重要である。すなわち、あらゆる言語には(母語でも外国語でも)「ことば」という共通の基盤があり、それを理解して制御することは容易なことではなく、表面的なスキルの習得で済む話ではない、ということである。この「ことば」の性質を心得ておくために、専門家として教員各自の研鑽が必要なことはもちろん、「ことば」の重要性を学生たちにだけでなく、大学の運営主体にも伝えることが教員の役割である。学生たちが生涯を通じて学び続ける基盤となるとともに、運営主体が大学の教育理念と語学教育の関係を模索する上で必要な基盤にもなる。こうした不断の努力によってはじめて、各大学独自の教育システムが学生の自律的な学びに資するという理想に近づける、と言ってよいだろう。