【松沼光泰・大学教育センター】目に見えないものを評価するということ
目に見えないものを評価するということ
松沼光泰(大学教育センター)
評価。日常的に経験されること。私たちは,日常生活において,知らず知らずのうちに(あるいは意図して),あらゆるものを評価し,それに基づき,取捨選択を行っている。「あの人は真面目だから,安心して付き合えるよ」とか「あいつはいい加減なやつだから,まともに付き合うのはよそう」など。学校現場においては,学習に対する評価は,学業成績という形で,学習者に対して示されている。この学業成績をつけることは,教師の大きな役割の1つであろう。私は今まで,児童,生徒,学生として,たくさんの学習内容を学び,評価されてきた。また,教員としても,たくさんの生徒,学生を評価してきた。私の専門である心理学においても,評価・測定は,大変重要な研究分野の1つであり,多くの研究知見が積み重ねられてきた。以下に,私が評価を行うに当たって,気をつけていることを述べたいと思う。私は評価・測定のいわゆる専門家ではないが…
心理学においては,学力は構成概念(construct)の1つとして位置づく。構成概念(construct)とは,例えば,不安という概念のように,直接には観察できない概念であり,観察可能な事象から理論的に構成される概念のことである(嶋田, 1999)。すなわち,心理学では,学力(例えば,英語の学力)も,不安などと同じ構成概念の1つであるということになる。不安も,英語の学力も,それ自体を直接観察することはできないし,誰もそのもの自体を直接見たことがいないということに関しては,全く一緒。不安の場合,日常生活においては,観察可能な事象(例えば,表情やしぐさ)から,「あの人は今不安なのかな…」とか「あの子,今日は不安そうにしているね…」と想像することになる。英語の学力の場合もこれを直接観察することはできないので,直接観察できるものを拠り所として(例えば,テストを実施し,問題に対する学習者の正答・誤答のパターンを拠り所として),英語の学力を想像することになる。誰も実際に英語の学力を見た者はいない。そう考えると,そもそも英語の学力なんてものが本当に存在するのかという疑問さえ浮かぶかもしれない…それが故に,評価を行う教師の側に,英語の学力とはどのようなものかというしっかりとした英語の学力像なるものがあることが必要不可欠となる。さもなければ,「英語の学力」というあやしげなものを教師が適当に作ったあやしげな「道具(テストなど)」を使って測定するという一種狂気の沙汰とも言い得る事態が生起することになろう。私は,現在,大学で,教育心理学の内容を扱う講義等を担当しているが,評価を行うに当たって,特に留意していることがある。以下にそのことについて述べたいと思う。
1つ目は,「講義の目標」と「どのように,成績をつけるか」ということについて,最初の授業で学生に念入りに説明するようにしている。これは,教師がこの講義で何を学習することを学生に求めているかということ,さらには,何をすれば,高い評価が得られるのかというゴールを学生に明確に示すために行っている。このようなことは,教育心理学においても,その重要性が示されている。近年の教育心理学の研究によれば,学習目標,テストや宿題などねらい,評価方法について,学習者が教師から説明を受けていると感じるほど,生徒の評価(評定結果)に対する納得の程度が高いことが示唆されている。また,この点については,本学が実施している授業評価アンケートにおいても「教師が評価方法について説明を行ったか」ということに関する項目があり,その重要性が指摘されているところである。
もう1つは,私が主に履修者が100近くいる大教室での講義を担当していることと深く関係しているのであるが,テストを実施し,その結果に基づき主に評価を行っている。テストは学力を評価するための資料の1つにすぎず,学習者を観察することなどを通じて得られた他の情報を用いて,例えば,授業への関心・意欲等を評価に反映させた方がよいという考え方もあろう。しかし,観察等によって学生の関心・意欲等の情報を収集することは,それほど簡単なことではない。人が関心・意欲をどの程度持っているかを想像することは,誰にでも簡単にできるが,なるべく正確に把握するには道具が必要となってくる。火があれば,ものを焼いて食べることはできるが,きちんとした料理を作ろうと思えば,フライパン,包丁などの道具が必要。他人を評価する場合も同じ。自分の日常生活に関することなら,道具無しでもかまわないが,仕事で学生の学力を評価するということになれば,いい加減ではすまされない。
以前,こんなことがあった。いつも授業をつまらなそうに聞いている学生がいた。私はその学生はきっと私の授業をつまらないと思って聞いているのであろうと考えていた。しかし,15回の講義が終わった後,「先生,授業興味深かったです」とわざわざ言いに来てくれたのだ。人が何を考えているかを道具なしにホイホイと簡単に把握できるものではないのだ(道具を周到に準備しても,簡単ではないと思うが…)。まして,100人近く履修者がいる授業では…と考えている。もちろん,小人数の授業や学習者が小学生・中学生であるなどの場合,関心・意欲を評価に反映させることが必要となる場合があるのは十分承知している。その場合には,関心・意欲という構成概念を出来るだけ正確に取り出す工夫が必要になることを教師は肝に銘じた方がよいと思っている。
教師は授業を通じて学習内容の理解を効果的に促進するとともに,学習者の動機づけを高めていくことを求められている。評価は,学習者のやる気(動機づけ)に大きな影響を及ぼすと考えられるので,評価をつける際には細心の注意を払うことが必要となる。例えば,ある会社の社長が,姓名判断で社員の人事や評価を決めたとしたら,社員の士気が下がるのは容易に想像がつく。「あいつだったら.出世して当然だなあ」,「俺の評価は,今回はこんなもんかな。次はがんばろう」と評価される側がある程度納得していることが大切だと思う。評価が,学習者にとって,教師の主観的な値踏みと受け取られてはよくない。先に少し言及した「評価に対する学習者の納得感」が大切だと思う。
教師が,テストを安易に作成することができ,また,学習者の関心・意欲などを簡単に把握できるという幻想を持っていると,信頼性や妥当性を欠いた,あるいは,学習者にとって納得感の低い評価を下してしまう危険性をはらむことになる。周到な準備なしに,ホイホイお手軽に他人を評価できるわけがないと思うのは,人を見抜くことが苦手な私の単なる杞憂なのであろうか。
引用文献
嶋田博行 (2006). 構成概念 中島義明・安藤清志・子安増生・坂野雄二・繁桝算男・立花政夫・箱田裕司(編) 心理学辞典 有斐閣 p.249