【坂井 敬子・大学教育センター】着任のご挨拶
着任のご挨拶
静岡大学のみなさん,はじめまして。3月1日に大学教育センターのキャリアデザイン教育・FD部門に講師として着任しました坂井敬子(さかいけいこ)です。FD活動に関する研究・開発,学内のFD活動の支援,全学教育科目のキャリアデザインなどの科目を担当します。専門は心理学です。一昨年までは,成人前期(25-39歳)の働く人を対象に,「転職」をキャリア心理学的に研究してきました。昨年から,大学生のキャリアを研究しています。どうぞよろしくお願いいたします。
「キャリア(career)」はここでキーワードになるので説明しておきます。careerの語源はラテン語の「轍」や「車道」です。英和辞典を引くと,「経歴,生涯」と出ています。特に職業生活を中心としたものをいうことが多いです。車輪が進んでいくごとに地面に跡を残していく,それが一人の人の経歴を表す…。これでキャリアという言葉がイメージできると思います。キャリアという言葉が心理学などで出てきたのは比較的新しく,ここ50-60年ぐらいです。20世紀の前半までは「職業心理学」や「職業指導」と呼ばれていたものが,「キャリア心理学」や「キャリアガイダンス」に替わってきました。以前は,「どんな職業があるのか」のように職業・産業もしくは組織を主体とした観点であったのが,今では「どんな働き方をするか」のような個人を主体とした観点にシフトしたことの現れです。
私がずっと研究していた「転職」(=経営組織を変わること)という現象は,かなり今日的なキャリア現象といえます。2007年までの「就業構造基本調査」を基に25-39歳男女の転職率推移をみると,1960-70年代は2から6%程度なのに対し,1980年代前半を境に,4から12%へと著しく増加しています。また,転職希望率も増加傾向にあります。このように,日本の有職者にとって転職は可能性の高い出来事となりました。転職に悩んだり実際に転職したという経験を通して満足の高いキャリアを築くには,“一貫性”の認識が重要と考えます。前職も次職も業種が同じとか職種が同じとかいうことは,もっともわかりやすい一貫性です。また,「営業と人事の仕事には“売る”という本質が共通してる」と考える人もいるかもしれません。その人にとっては,営業から人事に変わるということも一貫したキャリアと認識されます。こうした一貫性は,自分のキャリアに納得感を与えてくれます。以前の経験が強みになり,今後の方向性も描きやすくなるでしょう。何の会社,何の仕事という客観的なキャリアは事実として変えられないかもしれないですが,それをどう意味づけるかという主観的なキャリアは変えることが可能です。一貫性が見いだせたら,他人にも自分のキャリアが説明しやすくなります。
また,仕事の価値についても研究を行いました。何のために仕事をしているのか,仕事にはどんな価値があるのかという仕事の価値は,以下の3つに分けられます。「好きだからその仕事をする」「やりがいがあるからする」というのは,仕事そのものが目的となっている「目的的価値」です。仕事はあくまで手段であるという価値づけのうち,「食べていくため」「大人だから」というのは「現状維持的な手段的価値」。「生活レベルをあげるため」「家族のため」というのは「成長志向的な手段的価値」です。この3つは,択一的な価値ではなく,一人の個人の中で共存しうるものです。3つのうち,平均として最も強く認識されているのは「現状維持的な手段的価値」でした。働くことを辞めてしまったら多くの人は生きていかれませんから,当然の結果です。しかし,それが強く認識されればされるほど,将来不安は高まることも示唆されました。一方,「目的的価値」は強く認識されるほど,人生目標をもたらしたり将来不安を軽減することが示唆されました。「現状維持的な手段的仕事価値」は当然の価値観なので,「目的的価値」を認識できるか否かがカギになるということです。このように,「目的的価値」は望ましいものですが,その「好き」や「やりがい」は,多くの場合,その仕事をする中で経験された達成・他者からの承認・自分の存在意義から生じたものでした。このことは,その仕事が初めから「好き」や「やりがいある」と認識されていたわけでないことを示唆します。実際,「学生時代と働いてからの仕事イメージは違った」と語った協力者は少なくありませんでした。これら一連のことからは,当初の志望とは異なる仕事でも,やりがいを持てるいい仕事になる可能性がある,といえます。
私にも似たような経験があります。大学卒業後就職した会社で,志望していた販売セクションとは異なる人事セクションに配属されました。かなりの衝撃,その後長い戸惑いが続きました。しかし,数年後には,人事の仕事を面白味・やりがいある仕事と思えることができるようになりました。そして今携わる「キャリア」は,「個人の経歴」という点で人事の仕事と共通項があります。さらに言うと,日本史を専攻していた大学時代の卒論テーマは,太平洋戦争時の女子労働で,経験者に当時のことをインタビューしました。これは,当時の指導教員から提案されたテーマでしたが,取り組むうちに時間を忘れるほど夢中になりました。「個人の経歴」はやはり共通項です。卒論テーマも最初の仕事も与えられたもので,当時の私にとってはアクシデント,偶然みたいなものでした。でも今では,一貫した意味づけを与えることができ,主体的に取り組んだという納得感があります。
J.D.クルンボルツというかなり知られたキャリア心理学者がいます。著書の一つに「LUCK IS NO ACCIDENT(幸運は偶然でない)」があります。私たちのキャリアは用意周到に計画できるものでなく,予期できない偶発的な出来事によって決定されるけれども,重要なのは,その偶発を逃さないようにしたり心づもりをすること,いざ出会ったら最大限生かしていくことだ,ということを説いています。偶然の出来事でも特に重要なのは,人との出会いだと思います。クルンボルツ自身,テニスと出会い,テニスのコーチが心理学者であり,心理学を専攻するようになったという経験があるそうです。授業,サークル,アルバイト,ボランティア…。今後,大学生のこうした対人的な活動を研究していこうと考えています。