【高瀬祐子・大学教育センター】■ニュースレター 2015年度 特集記事「英語での授業」第2回

「英語で英語を教えること」とグローバリゼーション

(大学教育センター 高瀬祐子)

_大学という教育機関は、現在グローバリゼーションという現象の真っただ中に立たされている。批評家ガヤトリ・スピヴァクは『ある学問の死』の中で「グローバリゼーションとは、同一の為替システムを地球上のいたるところに押し付けることを意味する」と説明している。また、下河辺美知子はグローバリゼーションを「地球全体を一つにまとめあげるべく吹き荒れている運動」だとした上で、「「世界中を一つのシステムにあてはめること」という限りはまだグローバリゼーションの暴力は明らかになってはいない。しかし、そのシステムが「為替」という資本主義の基本的活動にかかわるとき、そのシステムの独占・強制は、資本主義を自らの利益の増大のために利用できる側と、それによって自らの心身を吸い取られる側とに振り分ける暴力となっていく」と述べている。

_これを言語に置き換えれば、一つのシステムとは英語であり、英語ができる側とできない側という構図が成り立つ。できる側に立つ学生を増やすために、グローバル教育が盛んに叫ばれ、グローバル人材の育成はもはや大学の使命となりつつある。その延長として、英語を教える際に「英語で英語を教えるか否か」は教育機関の内外でさかんに議論されている問題である。

_現在私が担当する英語の授業では、授業内容や履修学生によって一つの言語を使うか、二つの言語を使うかを決めている。会話練習を中心とするスピーキングの授業は英語で、リーディングやTOEIC対策を中心とする授業は日本語で行っている。今後もこれまでと同様に、授業の目的や履修学生のレベル、留学生の有無等によって臨機応変に対応したいと考えている。教員も学生も日本語を母語とする場合であっても「英語を使って英語を教えるべきだ」という風潮が高まっている一方で、一個人としては日本語で英語を教える重要性やおもしろさも実感している。

_リーディングの予習で辞書を使う際に、一つの単語に対して複数の意味がある場合は、すべて確認するよう指導している。そうすると、多くの学生がこんな意味もあった、あんな意味もあったと嬉しそうに発表する。彼らは一つの英単語というシニフィアンに対し、複数の日本語のシニフィエがあることに興味を持ち、テキストのコンテクストにそれらのシニフィエを当てはめ、どれがもっともふさわしいかを考え、時には日本語に当てはまるシニフィエがないと感じることもある。英語で書かれた文章を日本語に訳すという作業によって、言語を置き換えることの可能性と不可能性の両方を学ぶのである。その不可能性に気づくことにより、学生は、他国の社会や文化に興味を持ち、言語がいかに歴史、社会、政治等と結びついているかを実感する。

_大学英語教育において、英語でコミュニケーションを取ることができる、論文を読み理解することができる等の基本技能を伸ばすことは重要である。一方で、特に日本語を母語とする学生に対し、英語と日本語の違いに気づかせることも、英語学習における欠かせないステップではないだろうか。言語間のズレに気づくことは社会や歴史に興味を持つきっかけになるだけでなく、同一言語におけるシニフィエのズレに気づく能力を伸ばすことにもつながる。

_現代の学生は本を読まなくなったというニュースをよく耳にするが、SNSの普及により彼らが一日に目にする文字の量は格段に増えたとも言える。言葉に溢れた現代社会において、多くの人々が、自分の発した/自分に対して誰かから発せられた言葉の認識や理解にズレが生じる恐怖を感じながらも、その恐怖の実態に気づかずに過ごしている。ことばのもつ可能性や有用性とともに、ことばの孕む危うさを教えるためには、母語とそれ以外の言語という二つ以上の言語を平行して扱うことが不可欠である。英語の教員が英語運用スキルを伸ばすことに努めることは当然であるが、それだけでなく「ことば」そのものを意識し、想像力を働かせることのおもしろさと紙の上の記号から世界が見えることの衝撃を、少しずつ時間をかけて実感として教えることも重要である。

_グローバリゼーションにおいて、地球全体を一つにまとめあげるための言語が英語であるなら、一つの言語=英語を使って英語を教える/学ぶことが、自らをグローバリゼーションを遂行する側に置く近道であるかもしれない。しかし、グローバリゼーションという大きな波の様子は、その中に飲み込まれている間は見えてこない。波から抜け出しその全体を見つめるためには、「辞書を引き、訳す」という心身の運動を通して複数の言語を同時に学ぶことが必要である。

参考文献
Spivak, C. Gayatri. Death of a Discipline. New York: Columbia UP, 2003.
G.C.スピヴァク『ある学問の死―惑星思考の比較文学へ』上村忠男・鈴木聡共訳、東京、みすず書房、2004年。
下河辺美知子『グローバリゼーションと惑星的想像力―恐怖と癒しの修辞学』みすず書房、東京、2015年。

※第3回の掲載は10月上旬を予定しています。