【守屋亮・大学教育センター】新任教員挨拶

 2024年4月より静岡大学大学教育センターの特任助教として着任いたしました守屋亮です。専門は学習者との対話により個別最適な学びを実現していく言語学習アドバイジングで、授業内でもアドバイジングで用いるツール等を通して学生一人一人に合った学習について考えてもらう機会を設けています。私自身、生まれてからずっと東京出身で大学・大学院も東京だったので、静岡は着任前の出張で数日間滞在したことがある程度でした。現在も東京と静岡を往復していますが、静岡や静岡大学の雰囲気が非常に心地よく、忙しなくも充実した日々を送っております。

 私が担当している英語科目という観点から私の学生時代について振り返ってみると、大学で英語教育を専攻していたにも関わらず、お世辞にも真面目に英語を勉強していたとは言えない学生でお恥ずかしい限りです。むしろ、英語そっちのけでフランス語やペルシャ語、ラテン語など他の言語学習に熱が入ってしまうほどでした。さらには英語の教員免許だけでなく、芸術鑑賞が楽しくて副専攻として美学や博物館学芸員課程の修了、果ては日本語教師の資格まで気づいたら取得していました。他にも教育サークルや家庭教師・個別指導塾でのアルバイトなど、毎日が忘れ難い光彩陸離たる4年間でしたが、英語という点ではやや寄り道の多い学生時代だったかもしれません。

  しかし、教養英語という観点から考えてみると、これまでの道草もあながち無駄ではなかったのかもしれません。事実、“culture”の語源となっているラテン語の“cultura”は「耕す」であり、個人として知を耕すことで「教養」、社会として耕していくことで「文化」になります。どちらも一朝一夕には培われないため、英語に囚われない様々な学びがあったからこそ、私自身の“culture”として活きているという側面も否定できません。そういったこれまでの雑多な蓄積が、人と向き合う姿勢、つまりは研究における学習者の自律を促すアドバイジングや授業における英語を取っ掛かりとした“culture”、を軸とした活動にどこまでも結びついているのかもしれません。そのため、普段の授業でも英語自体というよりも「私と英語学習」や「英語を通して見える世界」といったことを軸に授業を展開しています。と随分大層なことを言っていますが、これまで決して人様に誇れるような「綺麗な」人生を歩んではきませんでした。それでも「順風満帆じゃない」人生を経てきたからこそ、そういった経験の面白さや醍醐味にも気付き、今でも辛いときや大変なときに支えてくれる大切な人生の糧となっています。こんな一見地味な自分の人生を「これでいいんだ」というような心持ちでいられるのも大学で学んだ“culture”の賜物なのかもしれません。

 最後に、私の専門である言語学習アドバイジングは人と環境がどのように関わり合い、成長するのかを明らかにする社会文化理論に基づいています。多様な人同士が織りなす可能性に魅せられ、その人たちの成長を後押しできればと思い、現在の関心に辿り着きました。大学での様々な人との交流は楽しいことや嬉しいこともある一方、人が複数いるが故の不和や軋轢といったものもあると思います。その際に、自分と違う他者を排除し「気楽な」関係に安住するのは簡単ですが、異質な他者と相互に歩み寄り、どのように受け入れ合えるかが、ある意味教養の力に委ねられるのかもしれません。決して平坦な道ではないかもしれませんが、人は違うからこそ面白く、大学はその面白い可能性に満ち満ちています。静大生のみなさんにも教養英語での学びを通して自己と他者双方に対する心の寛容さを“cultura”してもらえるよう、アドバイジングを通して向き合っていこうと思います。