【Thomas Eggenberg・大学教育センター】ニュースレター 2014

Thomas Eggenberg
ニュースレター 2014

 この間、久しぶりにお気に入りの寿司屋さんに行ったら(もう何年もご馳走になるお店ですが)、マスターに訊かれました。日本に来てから、最もびっくりしたことは何ですか?と。
 なかなか面白い質問で頭の中に色々が急激に、コマのように、回り始めました。少し迷った挙句「新入社員制度」と答えました。日本人には当たり前のことですが、僕はその1年に1回か2回だけのチャンスを非常に窮屈で人間らしくなく感じています。仕事に連想して、他のびっくりごとを思いつきました。大学1年生の初修外国語の授業、というかその授業の各クラスに割り当てられる人数です。大抵40人程度でしょう?しかし、大学だけではなく、小学校、中学校、高校でも同じような人数が普通で、ドイツと比べると遥かに多いです。多いので、教え方や学び方も相当変わってくるのが当然。大人数の初修外国語の授業では講義形態が多いですが、新しい言語を学ぶためによろしくないと思い、常にクラスを4~6人グループに分け、学生が自主的に勉強できる環境を作っています。
 ところが、グループワークになると、多くの学生がそのやり方を好んでくれても、色々な問題が生じるのです。毎年、必ず、アンケートに出てきます。グループワークの苦手な人、やる気のない人がグループにネガティブなエネルギーを放ったり(逆のもあるのですが)、ある人はグループが頻繁に変わればいいと思ったり、他の人は変わらなければいいと思ったり、グループがだらだらするから心底に苛立ったり、自らグループを作らなければならないと恥ずかしがり屋さんばかりが残るから先生がメンバーを決めればいいと感じたりする人・・・。クラスの人数を減らして(半分だったら最高!)くれる見込みがないので、1対40のような一斉授業も自分のスタイルに合わないので、そのような板挟みから逃れる道がなく、毎学期、改めて、良いバランスを見つけるしかないです。
 グループワークとは関係ないのですが、解決方法がなかなかないことは他にもあります。アンケートに書いてあるのは、たとえば、ドイツのドイツ語教科書分からない!もっと文法を説明してほしい!もっと会話をやりたい!もっと写真を見せてください!スイスのチョコレートをもっと食べたかった!もっと簡単なテストお願いします!もっとあれ、もっとこれ。笑ってしまいます。40人なので当然に40人の好き嫌いが絡んできます。面白いですし、全員を満足させる余裕があればいいのですが、結局、多数のご注文に盗られないように良いバランスを獲りながらやるしかないです。
 つまり、いくら初修外国語の授業について頭を悩ましてもなかなかよりよい結果にならない。「そんなもんか」と心ならずも思いながら、それについて書いてもあまり意味がないような気がしますが、もう書いてしまいました(笑)。というわけで、テーマを変え、この夏休みの僕の仕事について少しでも書こうかなと思います。
 大学の先生はどこかの学会で発表したり論文を書いたりすることが多いのですが、僕は多くの人が楽しめる小説をドイツ語に翻訳することが好きです。この夏、中村文則の『掏摸』という小説の翻訳にすっかり盗られ、毎日酔っているような状態で過ごしました。荒筋を簡単にいうと、わけがあってしばらく東京を離れた主人公が東京に戻り、掏摸をやっているうちにある暴力団のボスにつかまれ、そのボスから3つの「小さい小さい仕事」を下命される話です。しかし、本当は大大仕事で、主人公が失敗すると殺されます。その話の中にもう一つの、ある貴族と彼に売られてきた少年の、フランスにまだ奴隷制度があった頃の極めて残酷な話が埋め込まれていますが、二つの話は互いに緻密に反映するわけです。文体は非常に簡潔で、一文ずつドイツ語へ持っていくたび、冗語が一つも入らないように気を付けないと自分自身が殺されるかもしれないぞとさえ思いました。
 でも、文体というか文章のサウンドだけが大きなチャレンジとなるわけではありません。語句そのものも爪を噛ませます。具体例を2つあげよう。
 一つは、暴力団のボスが部下の奴らに言っているセリフ。「犯罪に最も必要なのは、計画だ。(省略)あとは、度胸だな。」問題の語句は「度胸」です。英訳では後半の部分は„After that, it’s all about courage.“となり、仏訳では„Après, c’est une question de cran.“となっています。“courage“(ˈkɜːrɪdʒ)の由来はラテン語の“cor“で「心」を意味しています。「胸」の部分にも「心」の意味があるし、「度胸」と“courage“は格調上の雰囲気も似ています。フランス語にもそもそも同じ意味や雰囲気の“courage“(ku.ʁaʒ)があるのに、仏訳が異なります。おそらく翻訳者がむしろ卑語的な言葉が相応しいと感じ、“cran“にしたのでしょう。“cran“の由来はラテン語の“crena“で「刻み」を意味しています。その「刻み」が、イメージとして、「刃」―「胆力」―「度胸」に繋がるので、”cran”の意味も雰囲気も調子もマッチョっぽい「度胸」のことを良く表現していると思います。独訳は、今のところ、„Dann braucht es noch was – Eier!“となっています。実は“courage“という単語はドイツ語でも使えますが、フランス語と同じ雰囲気を持っているので、「度胸」に合わない。ドイツ語の“Eier“は「卵」「金玉」を意味していて、英語の“balls“や“guts“と同じように「勇気」という意味に繋がります。「勇気」や「度胸」を普通のドイツ語で言うと“Mut“または“Kühnheit“となりますが、あまりインパクトを感じないので、やはり“Eier“が良さそうです。つまり、要するに、コンテキスト、それから語句のニュアンスや雰囲気などをどのように判定するかはなかなか難しいところです。
 もう一つは専門用語です。『掏摸』をする人物の話ですから、当然に技に纏わる表現がたくさん出てきます。その一つは「中抜き」です。財布を盗らずに中身(お金)だけを抜く技が「中抜き」と言うらしい。英訳を確認したら、日本語のままとなっていて、ここでは翻訳者がなぜかごまかしています。ドイツ語のぴったり専門用語があるのかなと思い、色々調べました。偶々YouTubeでフランス出身Pierre Ginetの掏摸パフォーマンスを見つけ彼にメールを送ったら色々教えてくれましたが、残念ながら「中抜き」に当てはまるフランス語の専門用語がなかったです。もしあったら、それをドイツ語に訳すのが簡単だったのでしょう。しかたなく手品師が使う“eskamotieren“という用語にしましょうと思ったのですが、魔法のようにあるものを消えさせる技を示しているので、ぴったりだと言えない。その時、フランスから『掏摸』の仏訳が届きました。さっそくチェックしたら“évidage“が書いてありました。日本語に直すと「掘り出す」という意味です。上手いなと呟いたことをいまだに覚えています。もちろん“évidage“は掏摸の専門用語ではないのですが、日本語の「中抜き」に良く合います。あまりにも良く合うので、“évidage“からインスピレーションを得てとりあえずドイツ語の同じ意味の“aushöhlen“にしました。翻訳を完成するまでにまた変わるかもしれませんが。
 このようにして翻訳者がお互いに助け合うのです。いつか誰かが僕の翻訳も覗いたりして、インスピレーションになればいいなと思っています。

平成26年12月11日修正