静大の学際科目を考えるフォーラムに参加して

(教務チーム主査 高野 学)
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 「学際科目は2単位必修ですからね、卒業するためには必ず履修してくださいね。」各学期が始まると、お決まりの窓口指導だったが、今は自宅からのパソコンでの履修登録になってしまい、さらに学期が始まる前にコンピュータ抽選を行っているので、このような指導も思い出になってしまった。

 総合科目から学際科目へと名称が変わって5年、学生にも職員にも、「学際科目」という言葉は十分に定着している。学際、学際と、毎日当たりまえのように言っている私たちであるが、私たち事務職員でも学際科目の定義を読むことはほとんどないので、貴重な紙面の字数を増やすのは気が引けるが、わざわざ書いてみる。学際とは、字のごとく研究が複数の学問領域に関わっているという意味である。学生が卒業時まで持っているはずの「全学教育科目履修案内」には、学際科目について次のように書かれている。「広く現代が提起している諸問題への問題意識を明確にし、広い視野から柔軟な思考力にもとづいて問題を発見・分析できる能力を育てるとともに、分野横断かつ学際的・複合領域にわたる知識をもとに、総合的に問題を解決しうる資質を身につけるための科目。5つのテーマ群が設定され、各年度の初めに授業科目が発表される。」これを読む限り、学際科目が持つ意味はかなり重い。(余談にはなるが、この履修案内についてよく読んでいる学生もいる反面、まったく目を通していない学生、入学後すぐに紛失している学生もいるのが悲しい現実。)

 学部別の必修単位の配当では、人文学部、教育学部、工学部が2単位、情報学部、理学部、農学部が4単位。全学教育科目の必要単位数が34単位前後であり、必修科目が24単位前後と考えた場合、学際科目の必修単位に占める率は大きくない。だから、少ない単位数でアンダーラインにあるような教育効果をもたらそうとした場合、個々の授業が持つ責任は大きいように思える。
 そのような理由から学際科目を運営している学際科目運営科目部では毎年どんな授業を学生に提供するのかの検討が大変である。フォーラムの中でも話題になったが、静岡大学のユニークなところでは、学際科目について個々の授業科目名が決められていない。授業を担当する先生、学際科目部で検討し、相応しい授業科目名で開講されているのである。言い換えれば、学生、大学、社会のニーズ等に呼応する科目を自由に開講できるため、毎年、来年度の開講科目を検討する学際科目部の先生方のご尽力は並々ならぬものがあると想像できる。
 一点だけ問題があるとすれば、授業科目名が近い領域のものも存在し、学生が2つとも履修した場合はその1つの単位は卒業単位として無効となることだ。ただ、これは教育的な問題ではなく、成績処理の事務的な問題である。
 今回は私にとっては2回目のフォーラム。2年前の9月30日に行われた時は、教務スタッフの人事異動や新学期の準備が伴い十分には参加できなかった。今回、心に残ったことのみを書き留めてみる。
 名古屋大学の山本一良教養教育院長のお話では、どの大学も何やら係数を出して教員の協力に苦労している様子が手に取るようにわかった。名古屋大学の教養教育にとって鶴舞キャンパスは近くて遠いところなのである。
 授業実践報告のうち、竹之内先生の「臨床死生学」は、毎年、授業形態を工夫されていて、死生学という重いテーマを哲学、文化人類学、医学等様々な学問でアプローチし、まさに学際と言える科目だった。特殊な例かもしれないが、参加している学生からの発言から担当教員の熱意が学生に伝わっているのが実感できた。
 最後の学長の挨拶も心に残る。大学に勤めている教育研究者であれば、学際科目の一つも出来なければならないし、冗談ではあったが、学際科目の授業を受け持つことが教授へのプロモートの必須要件だったりすれば状況はかなり変わる。今回のフォーラムに参加することが、先生方の学際科目への興味の目安ではないが、浜松キャンパスに比べて静岡キャンパスの先生方の出席が少なく思えた。今後、新たに学際科目の授業を担当する先生が増えてくれれば、教養教育全体が活性化するような気がしてきた。