留学帰国後の交流

留学帰国後の交流

大学教育センター 山本好比古

2020年に教養英語科目が新カリとなって以来、ESPⅠ(留学)を担当させていただいています。コロナの規制が緩和される中で、日本人学生で留学を希望する・実際に留学する学生も徐々に戻ってきた感じがしている今日この頃です。そこで今日は私が留学した時のホストファミリーについて書きたいと思います。

この記事を読んでいる方で留学を経験された方もいらっしゃるかと思いますが、帰国後に留学している時に出会った人達との交流はずっと続いているでしょうか?私の場合は、そのほとんどの人達とは交流がなくなってしまいましたが、大学院時代の指導教員の先生方とは卒業後もずっと交流が続いていますし、ホストファミリーに関しては、かれこれ25年以上ずっと交流が続いています。

私がこのホストファミリーと最初に出会ったのは1997年に語学留学した時で、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州のワガワガと呼ばれる市で、当時人口は6万人程度でしたが農業が盛んな市でした。当時は英会話が全然できず、ホストマザーが「これからスーパーマーケットに行くから」と言ってくれたのですが、それすら聞き取れず、「とりあえず車に乗れ」みたいなこと言っているのか?と思い、車に乗り到着して、「あっ、さっきスーパーに連れて行く」と言っていたのか・・・とわかるくらいひどい英語力だったのを今でもよく覚えています。

しばらくして、このホストファミリーがオーストラリアの首都であるキャンベラに引っ越しする事になったのですが、ちょうどのその時期大学院進学に関して、英語教授法で定評のあるメルボルンにある大学か、後々私の母校となるキャンベラ大学にしようか迷っていた時期でしたので、ホストファミリーがキャンベラに移るという連絡が、キャンベラ大学大学院に進学する決定を後押しする理由にもなりました。結局大学院時代はまたこのホストファミリーと一緒に生活させてもらいましたし、キャンベラ大学でも先生方に大変恵まれ、私にとってはベストな選択だったと今でも思っています。

ホストファミリーには娘二人と息子一人がいるのですが、年齢的にちょうど私は娘二人に挟まれており(姉は10ヶ月年上で妹は7ヶ月年下)、ホストマザーとファーザーには、日本の息子が一人増えたと言われていますし、娘たちと息子からも日本の弟と兄と認識されています。娘二人の子供たちも全員生まれた時から知っているので、その子供達からも日本の叔父と認識されているので、私にとってオーストラリアの家族ができました。もちろん留学する前はこんな家族に巡り合えるとは想像していなかったです。

少し話が逸れてしまいますが、ホストマザーが双子なのですが、先日その双子の姉(私のホストマザーではない方)の一番下の息子家族が日本に遊びにきまして、週末に御殿場のアウトレットや東京のお台場で時間を一緒に過ごしました。この息子家族にとっては、日本訪問は初めてで、いろいろな日本での異文化経験を楽しんでいました。コロナ禍で約4年間オーストラリアに帰省できていなかったので、4年ぶりの再会で色々話が弾み、とても楽しい時間を過ごすことができました。また、今年の6月にはホストマザーとファーザーが日本に遊びにきますし、その一番下の息子も日本に遊びにきます。そして年末年始には次女の家族が日本に遊びに来る予定で、コロナで約4年間メールなどでの交流のみでしたが、ようやく対面での交流が戻ってきました。

最後に、留学は現地にいる時だけが留学ではなく、帰国後もこのような交流が続けば、留学の成果がより充実すると思います。これから海外へ出る皆さんも、ぜひ現地で沢山の友達を作り帰国後もずっと交流を続けられるように、お互い連絡は取り合っておくと良いと思います。